伝統的な鍼灸の診断・施術方法は有効か?


『鍼灸の研究が古文献の研究から出発したことは何として も不幸であった。 

鍼灸研究は臨床的事実から出発すべきである。

この正しい道を阻害しているものが現今の経絡治療の流行 である。』      

経絡否定論 米山博久


日本では現在、「刺さない鍼」等の神秘的な鍼灸の施術方法が主流になりつつありますが、

この施術方法は高額な治療代に見合う明確な効果があるのでしょう か?

「鍼灸治療家集団。専門家集団。本物の鍼。昨今の患者に迎合した、

サービス業としての鍼灸治療に疑問を抱き、我々は、あくまで、

どれだけ早く、美しく依頼 を達成するかの一点を追求するという立ち位置で

鍼をもち続けることを誓います。」

「創業以来、鍼一本で難病・奇病まで数多くの症例と戦い続けておりま す。」

「鍼灸で気・血・水・肝・脾・腎を整えて妊娠させる。」

等と物凄い文言をHPに書く鍼灸院は本当に優れているのでしょうか?

東洋医学は、脈診、腹診、舌診等を駆使して肝虚証、脾虚証、肺虚証、腎虚証と

証を立てて診断をしますがその挙句、不妊症の方もアトピー性皮膚炎の方も皆、

全員に対して鍼灸師が

「貴方のその症状は便秘からきていますね。まず便秘から治しましょう。」

と言ってしまう事が実際に鍼灸院で起こっています。

この鍼灸院に通ったアトピー性皮膚炎の女性は

「皮膚炎になったストレスで便秘になったのに、逆でしょ(怒)。」

と思ったが、しばらくここに通い、便秘すら 治らなかったそうです。

脈診とは、患者の手首のとう骨動脈を寸、関、尺と三分割して脈の状態を診るものです。
心臓に近い動脈の拍動部と、とう骨動脈となら脈の強さの違いがあるでしょうが、

とう骨動脈を三分割してそれぞれの脈の違いなどあるのでしょうか?
「ある!」と断言する鍼灸師は、ただ分かっていると自分で信じているだけだと思ってしまいます。

心臓より遠位(寸)の動脈の拍動が近位(尺)より重く強い なんてありえませんが、 

「ある!」と言うのが東洋医学の世界です。  

脈の違いは、その部の浅深筋層や骨状等の条件が加わります。

その様な条件を考えてその上で脈状のデリケートな差異を察知することは至極困難です。                

したがって、診断は施術者の主観に大きく左右されることになります。 

東洋医学では施術者によって診断がバラバラになることには寛容です。

『どういう考え方に基づいて脈診をするのかによって、出てくる答えも

違うのが東洋医学の難しさであり、面白さなのです。』 

寄金丈嗣著『ツボに訊け!』ち くま新書

「面白さ」とは、実にいい加減な。

施術者によって診断結果がバラバラになることなど、西洋医学では許されません。

『原穴についても、これは中国人が肌を出すことを嫌って手足の

露出部で全ての治療を行うべく手足に原穴を定めたのであろうと思われる。

(「経絡否定論」米 山博久)』

東洋医学の診断では、歯の痛みも次のように考えます。 

→歯の痛みは陽明経の熱が多い→つまり胃経か大腸経                      

→陽明経の熱になるのはどこかの臓の精気が虚している

→どこの陰が虚し ているか脈を診て確かめる、

という流れですが、歯の痛みは仮に虫歯なら虫歯の部分を削るか溶かすか等の

方法で除去しなければ治癒はしません。        

この東洋医学の診断と治療法では歯の疾患に対応できません。

車に追突されてむち打ちで鍼灸院に行くと、

「脈が脱陰、腎を補って陰を引き締める、土穴で原穴の太谿に刺鍼をする」

と言って足に鍼を刺されます。
なるべく患部から遠い所に鍼を刺すのが鍼灸の本治法です。                  

とは言っても大事なのはそれで結果が出るかどうかです。
足首に鍼を刺して頚部捻挫が治癒するとは思えません。
捻挫は脈を診るのではなく、まずアイシングです。

東洋医学は全身の状態を診るものですが、外傷に関しては実際の

負傷の原因を聞いて、適切な患部の治療をするべきです。

東洋医学は、上記の例のように、外傷や疼痛の実際の原因には関心が無い。       

五十肩も「五十肩の原因は気血津液の過不足か虚実寒熱であり、経絡 に対して補寫を加える。」

という診断、施術を行う。                                    

しかし実際の五十肩の原因 は、老化に伴う肩関節の周辺組織の炎症です。         

疼痛の原因を気血津液の過不足や虚実寒熱から導こうとすると例えば癌等、

生命に係わる重篤 な原因を見落とします。

そもそも古典にはシャーマニズムの残滓があります。
古典に記されている事全てが事実とは限りません。

そこにはファンタジーやフィクション、神話も紛れています。

『黄帝内経素門』の最初の箇所には、黄帝は仙人になって天に登ったとあります。
ところが現代中国の解説書は全てここを「成年に達して、天子となった」と訳しています。
社会主義中国の建前にふさわしいものにする為に、宗教性を排除したのです。
例えば、『史記』に登場する元祖はり医、扁鵲は紀元前8世紀末からなんと400年間も生き、

透視力を持ち、病人の内臓の腫瘍なども見えたと記述されていま す。
こんな話もあります。

扁鵲が病人を診て回りならが旅をしていて郭という国に行ったときに、

既に亡くなっていたその国の皇太子の百会に鍼を打ち、生き返らせ ました

(扁鵲いわく、「仮死状態の気を取り戻した。」)。これを史実と思う人はいないでしょう。

「鍼は刺さずとも、皮膚の上に置くだけで効果がある。だって古典にそう載っている!」   

という考えは扁鵲のエピソードを史実と信じる事と近くないで しょうか。             

誇張もあるのでは?と勘案した方がよいと思います。

古典の内容を全肯定すると、フィクションも『事実』と信じなくてはならなくなります。
古典は貴重ですが、書物信仰ではないのだから、記述の全てを妄信するのではなく、  

正確な臨床の記述とファンタジーやフィクションを区別する思考が必要 です。

参考 松田博公著 『鍼灸の挑戦』 岩波新書

以下、鍼灸師が信じている、鍼灸師の信じがたいエピソード

1、柳谷素霊は、鹿皮でこすって熱した鍼を患者に刺して、腰痛や五十肩を一発で治した。

2、和木徹斉は鍼灸で頚部リンパ腺腫や肋骨カリエスを治療した。

3、柳谷素霊と竹山晋一郎が「臓に鍼を刺すと死ぬか?死なないか?」

と口論にりなり、「死なない」と言う柳谷に対して、死ぬと考える竹山が

「それなら俺の 心臓に鍼を刺してみろ。」と言った。

柳谷は長い鍼を竹山の心臓に刺した。だが竹山は死なず、

数日は心臓の所がスースーして気持ちが悪かったという。                             

『名人が心臓に鍼を刺すと死なない』というエピソードだそうです。

質問サイトでの、

『Q鍼灸学校の2年生です。経絡治療と中医学の特徴と違いについて知りたいのですが。』

という質問に対するある鍼灸師の回答↓

「僕は、脈を診ただけで「あ、この人、家族の人と喧嘩をして家を出てきたな」とか「昨日は夜更かしをしたな」とか「数回は吐いてきたな」など、面白いよう にその人の暮らしぶりや性格、身体の状態などがよく分かるようになります。」 

↑真顔でこんなことを言う鍼灸師が実際に存在する事が恐ろしい。もはや宗教です。

鍼灸はエビデンスの得がたい学問であるからこそ、正確な研究をもって           

「このツボに刺鍼をすると、有意義な効果が認められた。だから この施術方法は効果がある。」

という結果と臨床の積み重ねが重要です。
これが冒頭の米山先生の言葉、「鍼灸研究は臨床的事実から出発すべきである」です。


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